栗田艦隊退却す―戦艦「大和」暗号士の見たレイテ海戦 (光人社NF文庫) 文庫 – 2009/8/30
栗田艦隊退却す―戦艦「大和」暗号士の見たレイテ海戦 (光人社NF文庫)
あらすじ
昭和十九年秋、日本海軍が総力を注いだ捷一号作戦はレイテ湾突入を目前にした栗田艦隊の突然の反転によって、水泡に帰した。最後の日米決戦の舞台において何が起きたのか―「武蔵」をはじめ戦艦三隻、空母四隻を失う連合艦隊の敗北の最大の謎を戦艦「大和」暗号士が、自らの体験と多くの証言を基に真相を明かす。
書籍情報
小島 清文 (著)
文庫: 335ページ
出版社: 光人社 (2009/8/30)
ISBN-10: 4769826176
ISBN-13: 978-4769826170
発売日: 2009/8/30
商品パッケージの寸法: 15.2 x 10.6 x 2 cm
目次
海軍第三期兵科予備学生
祖国への訣別
戦艦「大和」に着任
いつ死んでもいい
兵学校出と予備学生
ブルネイ進出
出撃前夜
無視された敵潜会話
届かなかった重要電報
「武蔵」沈没
シブヤン海反転
志摩艦隊は「付録」だ
全軍突撃セヨ
栗田艦隊退却
おとり艦隊無残
帰投
転任辞令
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小島/清文
大正8年、東京に生まれる。昭和18年9月、慶応義塾大学経済学部を繰り上げ卒業、海軍第3期兵科予備学生隊に入隊する。横須賀通信学校で術科教育修了後、戦艦「大和」暗号士を経て海軍第26航戦司令部へ転出となる。海軍中尉。平成14年3月、歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
レビュー
**関連情報
栗田健男
栗田健男(くりた たけお、1889年4月28日 - 1977年12月19日)は日本の海軍軍人(海軍中将)。茨城県水戸市に生まれる。旧制水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)、海軍兵学校(38期)卒業。
経歴
水戸藩士の家に生まれる。祖父は藤田東湖、会沢正志斎の弟子で東京帝大教授栗田寛文学博士、父は漢学者で大日本史編集員であった栗田勤。遥かな祖先は清和源氏に連なるというが、元禄時代に水戸に移り油屋を生業とした。父の訓育は水戸の気風を反映し無骨と不言実行をモットーとしたという。伊藤正徳によれば、青少年時代は学問は出来、なによりも頑張りやその上に高い人格を持っていたという。
兵学校を149名中28番[2]で卒業。兵科将校として駆逐艦長や軽巡洋艦艦長、海軍水雷学校教頭、水雷戦隊司令官を歴任。いわゆるエリートコースとされる海軍大学校甲種学生を経ずに司令長官に就任した数少ない人物の一人である[3]。なお乙種学生として4ヶ月ほど海大で教育を受けている[4]が、海大乙種は同期生の約8割が進み、高等数学など主に普通学を学ぶ課程である。
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